ジャンル 日本の歴史と文化
早稲田校
織田政権と本能寺の変―信長権力と諸勢力との関係から再検証する
渡邊 大門(株式会社歴史と文化の研究所代表取締役)
| 曜日 | 金曜日 |
|---|---|
| 時間 | 13:10~14:40 |
| 日程 |
全8回
・04月10日 ~
06月05日 (日程詳細) 04/10, 04/17, 04/24, 05/08, 05/15, 05/22, 05/29, 06/05 |
| コード | 110234 |
| 定員 | 30名 |
| 単位数 | 1 |
| 会員価格 | 受講料 ¥ 23,760 |
| ビジター価格 | 受講料 ¥ 27,324 |
目標
・信長政権、信長権力についての理解を深める。
・信長をめぐる諸勢力(大名、朝廷、キリスト教など)の動向を知る。
・本能寺の変の俗説が誤りであることを認識する。
講義概要
明智光秀が織田信長を自害に追いやった本能寺の変は、日本史上最大のミステリーといわれ、今も新しい説が次々と提起されています。しかし、質の悪い二次史料に基づいたもの(あるいは史料の誤読)、著しい論理の飛躍、単なる思い付きなどによる説も多く、注意が必要であると考えています。本講座では、もちろん本能寺の変をめぐる諸説も取り上げますが、むしろ信長政権、信長権力を再検証し、信長をめぐる諸勢力(大名、朝廷、キリスト教など)の動向を探ることから、本能寺の変が起こった理由に迫ります。信頼できる史料や研究により、わかりやすく論証を進めますので、ご関心がある方はぜひご受講ください。
各回の講義予定
| 回 | 日程 | 講座内容 | |
|---|---|---|---|
| 1 | 04/10 | 信長と室町幕府との関係を再検証する | 信長は足利義昭を推戴して上洛すると、室町幕府を再興し、義昭を征夷大将軍の座に就けました。かつて、信長は義昭を傀儡とし、のちに京都から追放することが既定路線だったという説もありましたが、今では否定されています。信長が義昭を支援した理由、また、のちに対立した理由や足利義昭黒幕説について再検証します。 |
| 2 | 04/17 | 信長と朝廷との関係を再検証する | かつて、信長は朝廷に奉仕したと評価されていましたが、のちに一転して対立関係にあったといわれるようになりました。本当に信長は朝廷にさまざまな嫌がらせを行ったり、あるいは嫌がる正親町天皇に譲位を迫ったりしたのでしょうか。そうした説は今や否定されていますが、朝廷黒幕説も含めて詳しく再検証します。 |
| 3 | 04/24 | 信長とイエズス会との関係を再検証する | 信長は宣教師ルイス・フロイスの求めに応じて、キリスト教の布教を認め支援しました。それは、信長が仏教勢力を牽制するためだったといわれており、一方のフロイスは信長が無神論者だったと述べています。いずれも今となっては否定された説ですが、妥当性があるのかイエズス会黒幕説も含めて再検証します。 |
| 4 | 05/08 | 信長包囲網の形成と展開を再検証する | 信長には、意外なほど多くの敵対勢力が存在しました。大坂本願寺、足利義昭、毛利輝元、上杉謙信、武田信玄はその代表ですが、のちには味方や家臣だった荒木村重、松永久秀、別所長治、波多野秀治らも信長に反旗を翻しました。なぜ、彼らは信長に敵対したのか、さまざまな側面から再検証します。 |
| 5 | 05/15 | 本能寺の変に関する史料を再検証する | 本能寺の変に関しては、信頼できる一次史料(同時代史料。書状、日記)のほか、のちに成立した二次史料(軍記物語など)にも経緯や事情が書かれています。二次史料の大半は信頼度の落ちるものですが、近年になってもいくつかの二次史料が紹介され(『乙夜之書物』)、根拠史料として用いられています。そうした二次史料が信頼に足りうるのか再検証します。 |
| 6 | 05/22 | 信長と明智光秀との関係を再検証する | 本能寺の変の直近において、信長が光秀をイジメ抜いた記録が増えていきます。中にはかなり荒唐無稽なものもあり、とても信が置けません。しかし、それが光秀怨恨説(不安説、野望説など)に繋がりました。信長と光秀の関係は、いったいどうだったのでしょうか?光秀が信長から重用されたのは事実なので、その辺りについて詳しく再検証します。 |
| 7 | 05/29 | 信長と長宗我部元親との関係を再検証する | 信長は長宗我部元親と厚誼を結び、その四国統一と「切取自由(奪った国の支配を認める)」を承認しましたが、のちに撤回しました。その結果、信長と元親との関係が険悪となり、長宗我部氏との取次を担当していた光秀の立場が悪くなったので、光秀は信長討ちを決行したといわれています(四国政策転換説)。その辺りの事情を詳細に再検証します。 |
| 8 | 06/05 | 本能寺の変から山崎の戦いまでを再検証する | 本能寺の変から山崎の戦いの経緯は、多くの史料に書かれていますが、謎が多いのも事実です。光秀は本能寺の近くに陣を置いたのでしょうか?「信長死す」の一報は、どうやって羽柴(豊臣)秀吉のもとに届いたのでしょうか?なぜ秀吉は、中国大返しに成功したのでしょうか?その辺りの疑問を詳しく再検証します。 |
講師紹介
- 渡邊 大門
- 株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
- 1967年神奈川県横浜市生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。専門分野は日本中近世政治史。主な著書に『羽柴秀長と豊臣政権 秀吉を支えた弟の生涯』(ちくま新書)、『戦国大名の家中抗争 父子・兄弟・一族・家臣はなぜ争うのか?』星海社新書、『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『誤解だらけの「関ヶ原合戦」 徳川家康「天下獲り」の真実』PHP文庫、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ケ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。




