ジャンル 人間の探求

中野校

フーコーとドゥルーズ―権力と欲望、主体をめぐって

  • 冬講座

篠原 洋治(早稲田大学講師)

曜日 金曜日
時間 13:10~14:40
日程 全5回 ・01月30日 ~ 02月27日
(日程詳細)
01/30, 02/06, 02/13, 02/20, 02/27
コード 340509
定員 24名
単位数 1
会員価格 受講料 ¥ 14,850
ビジター価格 受講料 ¥ 17,077

目標

・フランス現代思想が共有する時代の課題について理解を深める。
・資本主義システムを下支えする権力による主体化の問題を知る。
・新たな主観性の生産を展望する。

講義概要

ミシェル・フーコーは20世紀の課題として「権力の過剰」を訴え、新しい権力論を提示した。他方ジル・ドゥルーズは、フェリックス・ガタリとともに、この課題に対して新しい欲望論で応答する。かれらの傍らで、フーリエ研究者ルネ・シェレールは、ドゥルーズとガタリのユートピア思想を変奏していく。本講義では、かれらの思想の交差を確かめながら、かれらがどのように権力と主体の問題を捉え、さらに新しい主観性を模索したかを考察したい。

各回の講義予定

日程 講座内容
1 01/30 規律訓練権力 ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生』(1975年)のなかで、近代の権力を、国家中心の権力として捉えるのではなく、病院、監獄、学校、工場などの具体的な社会制度のなかで作用し、個人を主体化=従属化するテクノロジーとして捉え、「規律訓練権力」と呼んだ。この権力のターゲットはわれわれの身体であり、勤勉に働く労働の主体を生産する。
2 02/06 生命権力 次に、ミシェル・フーコーは、『性の歴史Ⅰ‐知への意志』 (1976年)において、近代の権力のもう一つの側面として、われわれの生命のプロセス(出生率、死亡率、寿命、健康など)を、人口統計学や公衆衛生学などに基づき管理・調整する「生命権力」として捉えた。現代の福祉国家は、この権力の具現化であること、また、それはユダヤ‐キリスト教に淵源をもつ「牧人権力」であることを示した。
3 02/13 『アンチ・オイディプス』を読む ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが1972年に発表した 『アンチ・オイディプス』 は、精神分析のエディプス・コンプレックスの表象を批判し、「パパ—ママ—私」の三角形で構成される核家族を、資本主義システムを下支えする欲望の抑制装置として捉える。そして「欲望する機械」「器官なき身体」など新奇な概念を用いながら、無意識のエネルギーの流れと切断のプロセスを描く、新しい欲望論を展開した。
4 02/20 フーコーの権力論とドゥルーズとガタリの欲望論 フーコーは、権力を「禁止」するものではなく、「生産的なもの」として捉えた。実際、権力は社会に一定の秩序をもたらし、必要とされる目的に生産的に貢献する。他方、ドゥルーズとガタリは、欲望を「欠如」ではなく「生産」として捉えた。そして欲望の生産プロセスが生み出す「スキゾ的」な多様な欲望の流れに、資本主義システムを揺るがす要因を見た。両者が主張する「生産」にはもちろんズレがあるが、なぜそのように捉えるのか、その意味を比較検討したい。
5 02/27 新しい主体(主観性)の生産に向けて フーコーにおいて主体化(=従属化)の概念に着目すると、主体が権力‐知によって構成される側面が強調されるが、晩年のフーコーは「自己への配慮」という形で、従属化とは別様の主体を考えようとした。ドゥルーズとガタリにとって主体は、欲望の生産プロセスの効果として生まれるものであり、主体の概念をこのプロセスの説明原理としては放棄するが、欲望の集団的プロセスのなかで生成する集合的な「他なる主体」を肯定的に捉えている。これをシェレールとともに、フーリエが構想した、「情念引力」に基づき家族を超えた広い社会野での人々を配置するアソシアシオンと比較検討したい。

ご受講に際して(持物、注意事項)

◆受講にあたり予備知識は必要ありません。わかりやすく解説します。

講師紹介

篠原 洋治
早稲田大学講師
1959年愛知県生まれ。早稲田大学政経学部卒業、慶応義塾大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。パリ第8大学大学院哲学科DEA取得。早稲田大学では現代思想、フランス語を担当。共著に『シャルル・フーリエの新世界』、翻訳としてルネ・シェレール 『ドゥルーズへのまなざし』などがある。

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