ジャンル 人間の探求
オンデマンド
【オンデマンド】偉人たちは宗教とどう向き合ったか―日本編
正木 晃(宗教学者)
コード | 920502 |
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定員 | 20名 |
単位数 | − |
会員価格 | 受講料 ¥ 15,840 |
ビジター価格 | 受講料 ¥ 15,840 |
目標
・日本の歴史に大きな足跡を残した偉人たちが、宗教とどう向き合ったか、学びます。
・教科書や概説書には書かれていない「事実」を学びます。
・「事実」を知れば、目から鱗がたくさん落ちるかもしれません。
講義概要
本講座で取り上げる「偉人」は宗教者ではなく、俗人です。俗世界でも、政治という最も俗なる領域で活動した人物が考察の対象です。名前を挙げると、聖徳太子・天武天皇・聖武天皇・桓武天皇・後白河法皇・源頼朝・北条時頼・北条時宗・後醍醐天皇・足利尊氏・足利義満・足利義政・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・明治天皇です。これまで政治家の宗教観はあまり論じられてきませんでした。論じられても、専ら政治的な見地から論じられるのがせいぜいでした。しかし「事実」を丁寧に並べてみると、その宗教観や政策が彼ら自身の内面と無縁ではなかったことがわかります。さらに病気など個人的な動機が深く絡んでいたこともわかってきます。
各回の講義予定
回 | 講座内容 | |
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1 | 聖徳太子・天武天皇 | 聖徳太子はなぜ日本を「仏教国」と規定したのか。またその仏教理解はどれほどの次元だったのか。古代天皇制を確立した天武天皇は、従来の神信仰と新来の仏教信仰をどう関係づけたのか。意外なことに、天武天皇は伊勢神宮の実質的な創始者でありながら、実は他の神社を伊勢神宮以上に崇め、病に苦しめられた晩年は仏教信仰に傾斜していったのです。 |
2 | 聖武天皇・桓武天皇 | 聖武天皇はなぜ東大寺大仏を造立したのか。その目的は権力の誇示だったか、それとも別にあったのか。そもそも仏教への傾斜は、天皇の母の精神的な病と関係していた可能性があります。仏教を嫌って平城京から平安京へ遷都したはずの桓武天皇は、なぜその晩年、仏教に急傾斜していったのか。その背景には、非業の死を遂げた弟の早良親王が怨霊と化して、祟ったことがあったようなのです。 |
3 | 後白河法皇・源頼朝 | 後白河法皇と源頼朝は、政治的には鋭く対立しながらも、共通の宗教観を持っていたようです。それは怨霊がもたらす恐怖を緩和できるのは宗教だけという認識です。また生前は自身の健康を維持し、死後は浄土に往生したいという願望をかなえるためであれば、ありとあらゆる仏菩薩を動員していました。それはこの時代に活動し始めた「鎌倉仏教」の、念仏をはじめ、なにか一つを選ぶという方向性とはまったく逆でした。 |
4 | 北条時頼・北条時宗 | 北条時頼と北条時宗の親子は、敵対する勢力を徹底的に粛正し、北条執権の独裁政治を確立しました。そして鎌倉に臨済宗の大寺院を次々に建立し、禅を自身の精神的な支えとしました。ただし阿弥陀信仰など、従来の信仰を否定することはなく、この点ではむしろ寛容でした。また健康の維持や病気の治療では、密教的な加持や祈祷に大きな期待をかけていたのです。 |
5 | 後醍醐天皇・足利尊氏 | 後醍醐天皇は鎌倉幕府を打倒するために、真言密教の調伏(呪い)をみずから実践していたと伝えられます。後醍醐天皇の画像を見ると、天皇の衣服の上に真言密教の阿闍梨(密教の指導層)の法服という異様な姿です。足利尊氏は、地獄に堕ちてしまった者でも救ってくれるという地蔵信仰の持ち主でした。そして後醍醐天皇も足利尊氏も、怨霊の存在を疑わず、臨済宗を統率する夢窓疎石を尊崇していました。 |
6 | 足利義満・足利義政 | 足利義満といえば金閣寺、金閣寺は臨済宗ですから、禅宗に帰依していたという印象が強いと思います。実は後半生になると、むしろ天台密教と真言密教に帰依し、自身の健康維持に莫大な費用をかけていました。もっとも義満の後継者となった足利義持は父の事跡を否定することに熱心だったので、足利将軍家の宗旨は臨済宗に戻りました。足利義政が銀閣寺を建立し、専ら臨済宗に帰依したのにはこのような背景があります。 |
7 | 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康 | 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人のうち、個人の信仰がはっきりしているのは徳川家康で、浄土宗です。ただし地蔵信仰も持っていました。他の二人はよくわかりません。ちなみに信長の葬儀は臨済宗の大徳寺で行われました。豊臣秀吉と徳川家康は死後、それぞれ明神と権現として祀られました。キリスト教に対する施策は三者三様で、時期によっても変わりますが、利用できるのであれば利用するという態度は三者に共通しています。 |
8 | 明治天皇 | 明治維新まで天皇家は仏教信仰であり、宗派は真言宗(仁和寺/泉涌寺)でした。このことは北畠親房の『神皇正統記』にも記されています。維新以降は、いわゆる国家神道体制となり、仏教信仰は排除されましたが、明治天皇自身は終生、真言密教に特別な思いを抱いていた可能性があります。また天皇家の宗教をめぐっては、神道は宗教とは言えないから、仏教かキリスト教に帰依すべきという見解もありました。 |
ご受講に際して(持物、注意事項)
◆視聴期間は一般申込開始(2025/6/3)から学期終了翌月末(2025/10/31)までになります。一般申込開始(2025/6/3)以降はお申し込みいただけましたら視聴可能になります。
◆この講座は
2024年度 冬期 「偉人たちは宗教とどう向き合ったか―日本編」 (01/11〜03/08 土曜日、全8回)
で開講した講座のアーカイブ講座になります。
◆途中映像音声の乱れるところがありますがご了承ください。
◆オンデマンド講座のため講義内容に関する質疑は受付けいたしかねます。あらかじめご了承お願いいたします。
講師紹介
- 正木 晃
- 宗教学者
- 1953年、神奈川県小田原市生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本仏教・チベット仏教)。文献研究に留まらず、現地調査を実施しチベット・ヒマラヤ地域の調査は20回に及ぶ。高度でありながら誰でも理解できる仏教学を志向。著作は『「ほとけ」論』『現代日本語訳 法華経』など多数。