ジャンル 文学の心

中野校

世界の見え方が変わる近代小説―〈謎〉や〈しかけ〉を読み解く文学講座 村上春樹、芥川龍之介、川端康成、夏目漱石、宮沢賢治、森鷗外、太宰治、三島由紀夫

  • 春講座

相沢 毅彦(早稲田大学高等学院教諭)

曜日 土曜日
時間 10:40~12:10
日程 全8回 ・04月19日 ~ 06月21日
(日程詳細)
04/19, 04/26, 05/17, 05/24, 05/31, 06/07, 06/14, 06/21
コード 310127
定員 24名
単位数 1
会員価格 受講料 ¥ 23,760
ビジター価格 受講料 ¥ 27,324

目標

・小説の中にある〈謎〉や〈しかけ〉を見つける力を身につける。
・〈謎〉や〈しかけ〉の解き方についての理解を深める。
・新たな世界の捉え方(世界観)を知る。

講義概要

近代小説を通して、普段の私たちの見方とはまた違った方法で世界を捉えることを目指します。優れた近代小説は往々にして〈謎〉として現れ、それ故「何を言いたいのか分からない」といった感慨を齎す一方で、「理由は分からないけれど何か良い」と思わせるようなものにもなっているように思えます。では、その良さとは一体何なのでしょうか。〈謎〉や〈しかけ〉を解くことで、その良さを理解すると共に世界の捉え方が日常的なものとはまた違った見え方に変化していることを〈体験〉してもらえたらと思っています。2024年度秋学期の講座で扱った5つの作品に加え、新たに3つの作品を取り上げる予定です。リピーターの方も初めての方も歓迎します。

各回の講義予定

日程 講座内容
1 04/19 村上春樹「鏡」ー「「僕」でありながら「僕」ではない「僕」」は「僕」の何を憎んでいるのかー 「村上春樹の小説は何を言いたいのか分からない」とよく耳にしますが、その語られた言葉を理解するのは難しいかと思います。この作品でいえば、夜中に「鏡はあったのか、なかったのか」、鏡の中から出現する「「僕」でありながら「僕」ではない「僕」」とは一体何者なのか。また、そのようなことを語ることで結局、この小説は何を語ろうとしているのか。それらを解き明かしていくことで近代小説の読み方、あるいは近代小説がどのような事柄を問題化しているのかということをお伝え出来たらと思っています。そうした話はこの講座全体の導入にもなっています。
2 04/26 芥川龍之介「羅生門」ー作品の末尾「下人の行方は、誰も知らない」とは何を意味するのかー 定稿「羅生門」の末尾「下人の行方は、誰も知らない。」という言葉は、それまで下人の行方を語れていたはずの「作者」もまた下人の行方が分からなくなってしまうという〈謎〉を提起しているように見えます。では、そのようなことを語ることで〈作品〉はどのようなことを私たちに伝えていることになるのでしょうか。「盗人になるか餓え死にをするか」、下人と老婆とのやりとりの中での齟齬、語りの中で突然現れてくるSentimentalismeというフランス語、そうしたことの意味を考えながら、「羅生門」について考え、またそれを通して近代小説の問題を考えていけたらと思っています。
3 05/17 川端康成「伊豆の踊子」ーその名作たる所以は何かー 川端康成の代表作とされる「伊豆の踊子」ですが、好意的な評価として「孤児根性に歪んでいた〈私〉の自我の悩みや感傷が、素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく」といった解釈があり、また否定的な評価として「作られた名作」にすぎない(すなわち実質的な名作たり得ない)といったものが見られます。しかし、どちらの読み方も「伊豆の踊子」の良さを引き出すようなものとなってはいないように思えます。では、どのように読めばその良さを引き出すことができるのでしょうか。
この作品は「鏡」や「羅生門」のように〈謎〉らしい〈謎〉、〈しかけ〉らしい〈しかけ〉が見えにくいため、そもそも読みの取っ掛かりを見つけること自体難しいと感じるかも知れません。では何をどう読めばいいのか、一緒に考えていけたらと思います。
4 05/24 夏目漱石『夢十夜』「第一夜」ー「自分」は百年後に「女」と逢えたのかー 夏目漱石はロマンチストだという人がいますが、それはどのくらいのものだったのでしょうか。また、そのようなロマンチシズムが成立するためには、その背後にどのような世界観を持っていたのでしょうか。「語り手」の「自分」が「女」と百年後、再会出来たのか、出来なかったのかという問いを起点として、夏目漱石が問題としてきた事柄について考えていきたいと思います。時間があれば「第一夜」の他に漱石の書いた「虚子著『鶏頭』序」、「文芸の哲学的基礎」、「人生」についても触れていきたいと思います。
5 05/31 宮沢賢治「注文の多い料理店」ー死んだ二疋の犬が生き返って二人の紳士を助ける意味とはー 「注文の多い料理店」では、二人の紳士がつれていた白熊のような二疋の犬が作品冒頭で泡を吐いて死んでしまいますが、よりによってその二疋の犬が山猫軒で食べられそうになっていた二人の紳士を助ける話になっています。また、「風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ...」という一言一句同じ文が二箇所出てきますが、このことは何を意味しているのでしょうか(異界への入口ではありません)。加えて、作品前半では「山鳥を拾円も買って変えればいゝ。」というように「拾円」という表記だったものが、後半では 「途中で十円だけ山鳥を買つて東京に帰りました。」と「十円」に変化してもいます(他にも「表記の揺れ」は所々で見られます)。このような謎を通してこの作品はどのようなことを 伝えていると言えるのかについて考えていきたいと思っています。
6 06/07 森鷗外「高瀬舟」ー知足と安楽死の話なのかー 中学の教科書にも採用されている「高瀬舟」ですが、多くの授業ではこの話を「知足」と「安楽死」の話として語られていることが多いかと思います。それを裏付けるとされるものとして鷗外自身が書いた「高瀬舟縁起」があり、そこには遠島を言い渡された兄弟殺しの科を犯した男の話として「これまで食を得ることに困っていたのに、遠島を言い渡された時、銅銭二百文をもらったが、銭を使わずに持っているのは始めだ」とあり、また「死に瀕して苦しむものがあったら、楽に死なせて、その苦を救ってやるがいいというのである。(略)高瀬舟の罪人は、ちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。私にはそれがひどくおもしろい。」とあります。しかし、それは執筆の際の「縁起」に過ぎす、〈語り手〉が真に語ろうとしていることは別にあるというのがこの作品の〈しかけ〉になっているかと思います。では、それは一体何なのか。一緒に考えていけたらと思います。
7 06/14 太宰治「嘘」ーどこまでが嘘でどこからが真実かー 「嘘」は語り手の「私」が「男は嘘をつく事をやめ て、女は慾を捨てたら...」と言った言葉を、かつての小学時代の同級生だった名誉職が「それは、逆じゃありませんか。男が慾を捨て、女が嘘をつく事をやめる、とこう来なくてはいけません」と「いやにはっきり反対する」ところから始まります。では、なぜ名誉職は「私」のそうした言葉に反対しなければならなかったのでしょうか。また、誰のどんな「嘘」がこの話では 問題になっているのでしょうか。作品の末尾で「私」が「微笑した」意味も含めて考えていけたらと思っています。
8 06/21 三島由紀夫「海と夕焼」 「海と夕焼」は「海が分かれる」という奇蹟が起きなかったことを終生不思議がる「少年十字軍」に従軍した杏里の話となっています。通常、奇蹟とは起きる方が「不思議なこと」であり、起きなかったことは「不思議ではない」はずですから、ここで語られている問題意識は転倒したものとなっているように思えます。杏里は十字軍遠征に失敗した後、日本に流れ、鎌倉建長寺の寺尾男となり自分の人生を総括する形でこの奇蹟が起こらなかった話をしていますが、皮肉なことにその2年後の文永11年に「実際に」日本に「神風」が吹くという〈しかけ〉にもなっています。三島由紀夫自身は「奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議という主題を、凝縮して示そうと思ったものである。この主題はおそらく私の一生を貫く主題になるものだ。」とあり、三島由紀夫文学を読み解く重要なテーマの一つであると言えるかと思います。では、この作品では何が語られているのでしょうか、一緒に考えていけたらと思います。

講師紹介

相沢 毅彦
早稲田大学高等学院教諭
専門は近現代文学研究、現代文学理論。これまでの勤務校での授業では村上春樹、夏目漱石、森鷗外、芥川龍之介、志賀直哉、中島敦、川端康成、太宰治、三島由紀夫、山田詠美などの作品を扱ってきた。また、宮崎駿『となりのトトロ』、『千と千尋の神隠し』、新海誠『君の名は。』、『すずめの戸締り』、ウォシャウスキー兄弟『マトリックス』といった映画、サン=テグジュペリ『星の王子さま』、宮沢賢治、あまんきみこなどの童話の解説も行う。2009年から現職。2014年には文学理論を研究するため特別研究期間を取得し、パリ第七大学にビジター研究員として1年間在籍。共著として『有島武郎事典』、『可能性としてのリテラシー教育』、『〈教室〉の中の村上春樹』、『第三項理論が拓く文学研究/文学教育 高等学校』などがある。

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