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モンゴル帝国後裔史 キプチャク草原東部におけるカザフ汗国の興亡

  • 春講座

赤坂 恒明(元内モンゴル大学教授、早稲田大学中央ユーラシア歴史文化研究所招聘研究員)

曜日 金曜日
時間 10:30~12:00
日程 全10回 ・04月04日 ~ 06月13日
(日程詳細)
04/04, 04/11, 04/18, 04/25, 05/09, 05/16, 05/23, 05/30, 06/06, 06/13
コード 710304
定員 30名
単位数 2
会員価格 受講料 ¥ 29,700
ビジター価格 受講料 ¥ 34,155

目標

・モンゴル帝国解体後の中央アジアにおける騎馬遊牧民の歴史を理解する。
・カザフ汗国とカザフ民族形成史の概要を把握する。
・カザフスタンにおけるチンギス・ハンの子孫の事蹟に関する知識を深める。

講義概要

チンギス・ハンの長男ジュチの後裔は、モンゴル帝国の西北部を占めたキプチャク汗国の君主として、キプチャク草原(カザフスタンからウクライナに至るユーラシア大草原)とその周辺地域に君臨しました。モンゴル帝国崩壊後、キプチャク汗国も分裂・解体し、キプチャク草原の東部には、ジュチの十三男トカ=テムルの後裔によってカザフ汗国が建てられ、この遊牧国家のもとでカザフ民族が形成されました。カザフ汗国が帝政ロシアに併合された後も、チンギス・ハンの後裔たるカザフ王族は貴族として特権を保ち、カザフ近代史に大きな影響を与えた人物も輩出しました。本講座ではモンゴル帝国解体後のカザフスタン地域の歴史を人物中心に概観します。

各回の講義予定

日程 講座内容
1 04/04 キプチャク汗国の解体とカザフ汗国の成立 チンギス・ハンの長男ジュチの後裔を戴いたモンゴル帝国西北部の下位政権、キプチャク汗国は、14世紀中葉、嫡系にあたるジュチの二男バトと長男オルダの子孫が断絶し、傍系である五男シバンと十三男トカ=テムルの子孫が抬頭、その過程で分裂しました。トカ=テムルの後裔の一人オロスはキプチャク汗国東部を統一しましたが、その統一は彼の子の代に失われました。彼の二人の曾孫ケレイとジャニベクは1470年頃、後世の研究者からカザフ汗国と呼ばれることとなる政権を建てました。第1回はカザフ汗国建国までの歴史を概観します。
2 04/11 カザフ汗国の発展と隆盛 カザフスタン東南部に興起したカザフ汗国は、16世紀、ウズベク(ジュチの五男シバンの後裔)との抗争を繰り返しつつ勢力を拡大しました。また、衰退した東チャガタイ汗国から離脱した天山北麓地域の騎馬遊牧民集団をも組み込み、カザフスタン西部のノガイ・オルダ(マングト族)の一部も編入し、中央アジアにおける最強の遊牧政権となりました。なお、モスコヴィア(ロシア)の俘虜となったカザフ王族オラズ=ムハンマドは、皇帝ボリス・ゴドゥノフに仕え、彼の重臣、ジャライル族のカーディル=アリー・ベクは、貴重なテュルク語史料を残しました。第2回は、全盛期のカザフ汗国について説明します。
3 04/18 カザフの三ジュズの分立と、カルマク(オイラト)の対カザフ侵攻 17世紀〜18世紀初期のカザフ汗国は、統一君主のもとで隆盛を保持しましたが、英主として名高いタウケ汗を最後に統一君主はいなくなり、集団ごとに汗が立てられ、政治的分裂が恒久化しました。そして、カザフにおける大中小の三つの部族連合体「ジュズ」の存在が確認されるようになります。また、モンゴル高原西部からジュンガル盆地を本拠地とした西モンゴル系のオイラト集団(カルマク)が、18世紀に入るとカザフを激しく攻撃し、猛威を振るいました。第3回は、カザフ汗国が比較的安定していた時期から、外敵に苦しめられた苦難の時代に至るまでを説明します。
4 04/25 アブルハイル汗の、ロシア皇帝への臣従 タウケ汗の生前に小ジュズの汗として抬頭していたアブルハイル汗は、オイラト集団の侵攻に対抗するために、1731年、ロシア皇帝の臣下となる宣誓を行い、他のカザフ汗・王族の一部もこれに倣いました。当初、ロシア帝国臣籍は、実態としては名目的なものに過ぎませんでしたが、これが後に帝政ロシアによるカザフ併合の法的根拠となりました。第5回は、ロシア帝国へのカザフ汗国併合の起点となった、アブルハイル汗のロシア臣籍受容について検討します。
5 05/09 帝政ロシアと清朝との狭間で勢力を拡大したアブライ汗 中ジュズの汗アブルマンベトと共に1740年、ロシア皇帝の臣下となった王族アブライは、オイラト(ジュンガル王国)の捕虜となる苦杯を嘗めましたが、ジュンガル王ガルダン=ツェリンの没後まもなくジュンガル王国が清朝に滅ぼされると、1757年、清朝に帰順しました。帝政ロシアと清朝との間で巧みな両面外交を展開したアブライは、1771年、中ジュズの汗となり、カザフ汗国の最後の輝かしい時代を現出させました。第5回は、カザフスタン独立後の紙幣の意匠にもなったアブライ汗の事跡を取り上げます。
6 05/16 帝政ロシアによるカザフ中ジュズ汗の廃止と、ケネサル一門の武力闘争 ロシア皇帝へのカザフ汗・王族の臣従は、当初、オイラトに対抗するための一手段としての名目的な要素が強く、汗たちは実質的に独立君主として振る舞っておりました。しかし、1781年のアブライ汗の没後、帝政ロシアはカザフ汗国の植民地化に乗り出し、汗たちの政治的権力の剥奪に着手し、1822年、中ジュズのアブライ後裔の汗が廃されました。アブライの孫ケネサルはロシアに抵抗しましたが、1847年に敗死しました。ケネサルの子サドゥクはロシアに対する抗争を続けたものの1877年に降伏しました。第6回は、中ジュズにおける汗制廃止と、帝政ロシアへの抵抗を続けたケネサル一門の活動を紹介します。
7 05/23 カザフ小ジュズの政治的混乱とボケイ汗国(ブケイ・オルダ)の成立、小ジュズにおける汗の廃止 政治的混乱が続く小ジュズでは帝政ロシアの影響力が強まり、1824年、小ジュズの汗制は廃止されました。それに先立ち、小ジュズの王族ブケイ(ボケイ)は、カルマク(オイラト)のトルグート集団の東遷によって人口稀薄となっていたヴォルガ・ウラル両河間地帯への移住を帝政ロシアに請願、1801年に認められ、1812年、汗位をロシアから承認され、ロシア領内にボケイ汗国が成立しました。しかし、ボケイ汗国でも1845年に汗制が廃止されました。第7回は、カザフスタン西部における汗制の消滅過程を概観します。
8 05/30 カザフ近代知識人の草分けチョカン・ワリハノフと、カザフ伝統音楽の巨匠ダウレトケレイ カザフ王族は、帝政ロシアの支配下に入った後も特権を保持し、貴族階層を構成しました。カザフ上層階級が子弟にロシア式の教育を受けさせたことにより、彼らの中から近代的カザフ知識人の第一世代が出現しました。その代表的な人物が、大探検家・民族学者ポターニンの年少期からの親友にして、かつドストエフスキーの友人としても知られる大学者、チョカン・ワリハノフです。また、旧ボケイ汗国の王族からは、カザフ伝統音楽の三指に入る大作曲家ダウレトケレイが現れました。第8回では、近代カザフの学術・文化方面で絶大な貢献を果たした二人の王族の事蹟を紹介します。
9 06/06 ロシア革命期のカザフ王族、アリハン・ブケイハノフとバクトジャン・カラタエフ 20世紀初、ロシア帝国領内で新聞・雑誌が相次いで創刊され、その社会的風潮の中でカザフ人にも民族運動が高揚し、新時代のカザフ人指導者が現われました。二人のカザフ王族、ロシア革命・内戦期のカザフ民族自治政府アラシュ・オルダの最高指導者アリハン・ブケイハノフと、赤軍側に立って白軍およびアラシュ・オルダと戦ったバクトジャン・カラタエフは、ソビエト政権との接し方が対称的でしたが、どちらも最終的には失脚し、非業・不遇の最期を遂げました。第9回では、帝政ロシア末期〜ソビエト初期に活躍した近代カザフ王族の事蹟を取り上げます。
10 06/13 新疆のカザフ王族、エリン郡王とその弟シャリフハン 「最後の騎馬遊牧民帝国」ジュンガル王国(オイラト連合)が大清帝国の乾隆帝に滅ぼされた後、人口稀薄となっていたジュンガル盆地にカザフ遊牧民が徐々に入り込み、定着しました。清朝は、流入したカザフ遊牧民の長として、カザフ王族たちに爵位を与えました。中華民国期、王公エリン郡王の弟シャリフハンは近代的知識人・政治活動家として活躍し、中華人民共和国成立後、エリン郡王夫妻は新疆省人民政府顧問となり、新疆ウイグル自治区の成立を迎えました。第10回では、新疆のカザフ王族について概観し、最後に、カザフ史上におけるチンギス・ハン後裔たちの存在意義を総括します。

ご受講に際して(持物、注意事項)

◆Zoomウェビナーを使用したオンライン講座です。
◆本講座は、2023年秋講座「中央アジアのチンギス・ハンの子孫たち モンゴル帝国解体後の中央アジアにおけるカザフ汗国とカザフ王族」の内容をもとに、新たな知見を加えて改訂し、あらためてオンラインで実施するものです。
◆休講が発生した場合の補講日は6月20日(金)を予定しております。
◆お申込みの前に必ず「オンラインでのご受講にあたって」をご確認ください。
◆お申込みいただいた有料講座の動画は、当該講座実施の翌々日(休業日を除く)17:30までに公開します。インターネット上で1週間のご視聴が可能です。視聴方法は、以下をご確認ください。
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【ビジター・法人会員】授業動画の視聴方法(ビジター・法人会員向け)

講師紹介

赤坂 恒明
元内モンゴル大学教授、早稲田大学中央ユーラシア歴史文化研究所招聘研究員
千葉県野田市出身。早稲田大学大学院修了、博士(文学)。専攻分野は東洋史学。モンゴル帝国史を中心とする内陸ユーラシア史のほか、日本史の論著もある。著書に『ジュチ裔諸政権史の研究』(風間書房)、『「王」と呼ばれた皇族』(日本史史料研究会監修。吉川弘文館)など。http://akasakatsuneaki.c.ooco.jp/

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