ジャンル 現代社会と科学

早稲田校

戦後政治と農業政策の変遷―コメと日本の食料事情

  • 冬講座

石井 正(時事通信社客員解説委員、時事総合研究所客員研究員)

曜日 水曜日
時間 13:10~14:40
日程 全5回 ・01月29日 ~ 02月26日
(日程詳細)
01/29, 02/05, 02/12, 02/19, 02/26
コード 140708
定員 30名
単位数 1
会員価格 受講料 ¥ 14,850
ビジター価格 受講料 ¥ 17,077

目標

・「食」をめぐる政策優先順位の変化を通じて時代がどう変わってきたかを学ぶ
・日本の農業・食料政策がアメリカの対日政策にどう影響されてきたかを学ぶ
・食料安全保障をめぐる世論や政治の変化と、現況についての理解を深める

講義概要

日本の食料事情は、終戦直後に復員者の大量帰還などもあって需給がひっ迫。アメリカは、深謀遠慮もあって余剰農産物を対日供給する策を講じた。その後、日本はコメ増産に注力。政権与党も生産者米価の押し上げを推進したため、一転して過剰傾向を呈し、減反政策に追い込まれた。その後の日本農政は、「猫の目」と批判されるように変転。アメリカなどからの農産物市場開放要求に押され続け、日本農業は弱体化した。一方、国際情勢が緊迫化する中、食料自給率の底上げを図るべきだとの世論もあって、政権も食料安全保障に軸足を移しつつある。だが、見通しは不透明のまま。こうした流れと政治の関連性をひも解き、問題点を浮き彫りにする。

各回の講義予定

日程 講座内容
1 01/29 食料需給ひっ迫とアメリカの深謀遠慮 日本は終戦直後、復員者の急増や農地の荒廃などで食料需給がひっ迫。ハイパーインフレもあって「物々交換」で食料調達を迫られる原始的な状況を現出した。これを受けてアメリカは、同国の余剰農産物を救済支援と称して対日供給した。併せて、自作農の創設で日本農業の生産性向上も図り、日本農業も徐々に自立へと向かった。
日本政府は、経済政策の軸足を石炭と鉄鋼に置く傾斜生産方式を推進するとともに、化学肥料生産にも力を入れ、食料増産を推進した。
2 02/05 統制物資から市場物資に変わった要因 コメは戦時中から数十年にわたり需給管理を統制下に置かれた。その確認書類として米穀通帳が国民必携の公的書類とされ、1981年(昭和56年)まで存在した。転機となったのは1960年代からのコメ生産量の増大。1950年には938万トンだったが、1967年には1,445万トンに増加。一人当たりのコメ消費量が1962年度以降、減り始めたため、コメ過剰問題が発生、1961年からいわゆる減反政策が実施された。
3 02/12 減反政策と「猫の目」農政と称された理由と背景 コメは終戦直後から増産政策がとられた。営農技術の向上や肥料、農薬の広がりに加えて、政権与党が、農村票を当て込んで米価引き上げを推進したこともあって生産量は急拡大。生産調整を余儀なくされた。ミカンなどへの作付け転換も政策的に誘導されたが、それも過剰となってミカンの伐採を迫られるなど農政は目まぐるしく変化した。このため、「猫の目」農政などと批判される事態を招いた。コメ増産に偏り過ぎた政策がもたらした負の効果だった。
4 02/19 日米を軸にした農産物交渉の背景と推移 日本は戦後、高関税などさまざまな輸入障壁を設けて農業保護政策をとってきた。ただ、工業・貿易立国を目指す日本は、自由貿易を推進するガット体制に1955年に加盟、農産品の市場を順次開放することになった。その過程においては、農産品をめぐる政治利権の存在が浮き彫りになったりした。1970年代以降、アメリカは対日貿易赤字の解消を目指して日本に農産品自由化を迫り、日本は1991年に牛肉・オレンジの門戸を開放するなど、米側要求に屈する場面が続いた。
5 02/26 令和と平成の「米騒動」と食料安全保障をめぐる世論と政治 コメは、戦後の需給ひっ迫から過剰時期を経て自由化に移行。完全自給体制が整ったとされた。しかし、1993年に冷夏で生産量が激減、「平成の米騒動」と呼ばれる事態が勃発。さらに、2024年にコメ需要が増大して「令和の米騒動」とも言われる事態を招いた。加えて、国際情勢の緊迫化もあって、政府も食料安全保障を基軸とした新農業基本法の策定に踏み切った。とはいえ、自給率を具体的にどう向上させるべきかなど、論議は依然として広がりをみせてはいない。

ご受講に際して(持物、注意事項)

◆休講が発生した場合の補講は、3月5日(水)を予定しております。
◆毎回レジメをお出ししますので、筆記用具があれば十分です。
◆毎回の講座終了前にご質問をお受けします。

講師紹介

石井 正
時事通信社客員解説委員、時事総合研究所客員研究員
1949年埼玉県生まれ。71年中央大学法学部法律学科卒業。時事通信社入社後は一貫して経済畑で勤務。87年から92年までニューヨーク特派員。帰国後は経済部デスク、電子メディア編集部長、産業部長、編集局総務、解説委員など歴任。武蔵大学客員教授などを経て2014年から時事総合研究所客員研究員、2023年から時事通信社客員解説委員。
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