ジャンル 日本の歴史と文化

早稲田校

天皇陵とは何か―神武天皇陵・長慶天皇陵から考える日本の歴史認識の変遷

  • 秋講座

外池 昇(成城大学教授)

曜日 金曜日
時間 10:40~12:10
日程 全6回 ・09月27日 ~ 12月06日
(日程詳細)
09/27, 10/04, 10/25, 11/08, 11/29, 12/06
コード 130208
定員 30名
単位数 1
会員価格 受講料 ¥ 17,820
ビジター価格 受講料 ¥ 20,493

目標

・歴史学の視点から、天皇陵についての理解を深める。
・上記を基礎に、神武天皇陵についての理解を深める。
・上記を基礎に、長慶天皇陵についての理解を深める。

講義概要

天皇陵というと、とかく考古学的な範囲に限って捉えられがちである。例えば、かぎ穴状の前方後円墳などをその代表格として思い起こす向きも多いのではないか。しかし、天皇陵は天皇の墓所のことであるから、古代から今日まで連綿と築造されてきたものなのである。つまりいわゆる古墳時代にのみ存したものではない。それをさらに進めていえば、天皇陵はさまざまな時代とともに変遷し、そしてそれぞれの時代の有様を反映したものであるともいえる。本講座はその通史的な観点とともに、神武天皇陵・長慶天皇陵という二つの天皇陵を手掛かりにしつつ、天皇陵の諸相とその本質をみていこうとするものである。

各回の講義予定

日程 講座内容
1 09/27 天皇陵は聖域か、文化財か 天皇陵は宮内庁の管理下に置かれていて、「文化財保護法」が規定する文化財としての管理がなされていません。天皇陵は皇室の先祖の墓地として皇室による祭祀の対象となっているというのが、その理由であると説明されます。それでは、そのような天皇陵の管理はいったいいつごろからなされるようになってきたのでしょうか。おもに近世から近代にかけての時期に焦点をあてながら、詳しく説明いたします。
2 10/04 近世における神武天皇陵に関する諸説 皆さんは、『古事記』『日本書紀』が我が国初代の天皇とする神武天皇についてどのようなことをご存じですか。この回ではまず、『古事記』『日本書紀』が記す神武天皇についてみることにします。そして『古事記』『日本書紀』は、当然のごとく神武天皇陵について記しますが、その両者の記述は若干異なっています。江戸時代には、朝廷・幕府、そして民間の学者たちがそれぞれの方法によって神武天皇陵を探しますが、なんとそれは三者三様、それぞれに異なった場所でありました。朝廷の考える所は「神武田」、幕府の管理するそれは「塚山」、民間の学者が見出した場所は「丸山」といいました。なぜ、神武天皇陵の場所についての考えがそれぞれ異なってしまったのでしょう。
3 10/25 幕末の朝幕関係と神武天皇陵 幕末にペリーの艦隊が来航すると、時の孝明天皇は主要な神社・寺院に祈祷を命じてこれを追い払おうとしました。社寺に祈祷させることによってアメリカの艦隊を追い払えることなどできるものかとも思ってしまいますが、これが当時のやり方というものです。さらに孝明天皇はこのように社寺に祈祷させることに加えて自らも神武天皇陵に祈祷を行なうべく、幕府に対して神武天皇陵の整備を命じます。が、ここには当然のように一つの問題が生じます。何しろ、孝明天皇が考える神武天皇陵と幕府が管理する神武天皇陵とでは、そもそも場所が違ったのですから。その矛盾はどのようにして解決されるのでしょう。
4 11/08 近代における神武天皇陵の諸相 ともあれ幕府は自らの管理する神武天皇陵「塚山」説を事実上撤回して、朝廷の考える「神武田」を神武天皇陵として整備することにしました。結局この「神武田」は、明治において政府の管理する唯一の神武天皇陵としての確固たる地位を獲得したのです。しかしそのことが完成するるためには明治政府は、学者たちが見出した「丸山」のことをきちんと否定しなければなりませんでした。さかのぼればこのような「丸山」否定の動向は、近世末の頃から朝廷・幕府に使える官僚たちによってなされてきてはいたのです。それでもしばらくの間は神武天皇陵「丸山」説支持の潮流は消えることはありませんでした。
5 11/29 長慶天皇陵はどこに 皆さんは長慶天皇のことをご存じですか。長慶天皇は、後醍醐天皇の孫、後村上天皇の子ですから、いわゆる南朝の3代目にあたります。残念なことにあまり史料が残されていない天皇なので、その陵の所在地は長年不明でしたし、そもそもその即位はあったのかどうかすらも近世以来議論のあったところであって、公的にその在位が確認されたのはなんと大正15年になってのことなのです。しかしそうなればまた別の問題が生じます。つまりその陵はどこにあるのかということです。そこで政府は宮内大臣の諮問機関として臨時陵墓調査委員会を組織し、長慶天皇陵の捜索にあたらせました。この回で取り上げるのは同委員会の活動内容と、それでは一体どこがどのようにして長慶天皇陵とされたのか、ということの顛末です。
6 12/06 天皇陵の来し方行く末 第1回から第5回までの授業にご参加になって、皆さんは天皇陵についてどのようなお考えを持たれたでしょうか。これまでの考え方と変化はあったでしょうか。近年の天皇陵についての顕著な動向ということでは、今後営まれる天皇陵の規模の縮小と火葬の実施ということと、百舌鳥・古市古墳群に属する多くの陵墓が世界文化遺産に指定されたことでしょう。この最終回では、主要なテーマとしてこのことを取り上げます。

講師紹介

外池 昇
成城大学教授
成城大学大学院文学研究科日本常民文化専攻博士(後期)課程単位取得修了。博士(文学、成城大学)。調布学園女子短期大学日本語・日本文化学科専任講師等を経て、現在成城大学文芸学部教授。著書『幕末・明治期の陵墓』『天皇陵の近代史』『事典陵墓参考地―もうひとつの天皇陵』(吉川弘文館)、『天皇陵論―聖域か文化財か』(新人物往来社)、『天皇陵の誕生』(祥伝社新書)、『検証天皇陵』(山川出版社)、『天皇陵―「聖域」の歴史学』(講談社学術文庫)、『神武天皇の歴史学』(講談社選書メチエ)。監修『文久山陵図』(新人物往来社)。論文多数。
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