ジャンル 日本の歴史と文化
早稲田校
気候変動の日本の社会への影響と社会の発展が生み出す環境変化―歴史時代
川幡 穂高(早稲田大学客員教授、東京大学名誉教授)

曜日 | 水曜日 |
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時間 | 10:40~12:10 |
日程 |
全5回
・01月08日 ~
02月05日 (日程詳細) 01/08, 01/15, 01/22, 01/29, 02/05 |
コード | 140210 |
定員 | 70名 |
単位数 | 1 |
会員価格 | 受講料 ¥ 14,850 |
ビジター価格 | 受講料 ¥ 17,077 |
目標
・古気候・古環境だけでなく歴史学、歴史経済学などを総合的に理解する。
・人類の遺伝子解析に基づき、祖先の血が現代人と現代社会に引き継がれていることを理解する。
・気候・環境が社会に与えた影響を理解し、気候・環境要素の現代社会への示唆を考える。
講義概要
過去2万年間を対象とすると、日本社会を変えた最大級の改変は「大寒冷期」(数世紀におよぶ寒冷気候)に重なる。①ホモ・サピエンスの初来日、②世界最古の石鏃・世界最古級の土器の誕生、③北海道での人の南下、④三内丸山遺跡発展開始、⑤三内丸山遺跡崩壊、⑥弥生人の日本への移住、⑦弥生/古墳社会境界、⑧古墳/朝廷貴族政治境界、⑨朝廷貴族/武家政治境界、⑩武家政治/近代境界。今回は⑧、⑨、⑩の時代に焦点を絞り、気候変動が食料や生業、人間社会・経済・文化を介して与えた日本の社会への影響と社会の発展が生み出す環境変化について、最新情報を提示し、根拠を示して解説する。
各回の講義予定
回 | 日程 | 講座内容 | |
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1 | 01/08 | 東アジアの激動に影響される古代の大量消費社会の発展 | 古墳時代の終わり頃、気候は寒冷化していた。その原因として有力なのが、インドネシアにあるクラカタウ火山の535年の大噴火だった。中国では南北朝時代(439年〜)を経て、589年に隋王朝が誕生した。朝鮮半島も戦乱が活発化し、極東アジアは激動期となった。飛鳥時代とは、推古天皇が即位した593年から平城京遷都までの間をさす。日本は百済や伽耶から多くの移民を受け入れた。古代大阪は古墳時代より大きく発展し、古代の大量消費社会は急速に発達した。当時、都はたびたび移動したが、最終的に中国の都を理想とする日本初の本格的な都市、藤原京(694-710年)が造られた。 |
2 | 01/15 | 気候の改善が育む平城京の興隆 | 飛鳥時代から奈良時代にかけて気候は温暖化し、平安時代初期に最高気温を記録した。温暖な気候は農業生産量を増大させた。律令制度が整備されて治政も改善されたので、一人あたりの国民総生産が増加し、国も少し豊かになった。奈良時代には総人口は約500万人に増えた。海外との交流も活発で、大陸からの移民は日本の文化や文明そして国力の増進に貢献した。平城京には東大寺の大仏をはじめ巨大な木造建築が建立された。古代の大量消費社会を反映し、平城京の中心街の土壌中の鉛の濃度は、現代環境基準を上回るほどで、最初の都市型環境汚染が起こった。 |
3 | 01/22 | 平安時代後期の寒冷化が促す武士社会の台頭 | 平安時代初期は気候に恵まれていたが、ゆるやかに寒冷化し、紫式部が源氏物語を執筆した頃は桜の開花もずいぶん遅くなった。その後2世紀にわたり寒冷化は進行し、平安時代末期には大寒冷気候となった。私達が復元した温度は、京都の公家の日記などの記録とも一致する。当時、顕著な火山噴火などは報告されていないので、エルニーニョ状態と日射量減少の複合作用が原因と考えている。律令制度のゆるやかな崩壊、中央政府による直接支配からの自立、悪化する気候により、土地は多くの武士の領地に事実上、分割されていった。貴族政治から武家が支配する社会への最初の転機は、平家の台頭であった。十年単位の気象変化が源平合戦に影響を与えた。 |
4 | 01/29 | 最良の湿潤気候が育むモンゴル帝国と受難の鎌倉時代 | 12世紀末期になると気候は温暖化したが、地震や台風や高潮被害など自然災害が頻発したため、鎌倉時代の人々の身長は低く、寿命は短くなり、一人あたりの国内総生産も減少し鎌倉時代は厳しい時代となった。二毛作、牛馬を活用した耕作、農機具の改良、灌漑設備の改善など農業技術に顕著な進展があったが、新技術の恩恵が農業生産量の増加に結びつくには時間が必要だった。モンゴル帝国は13世紀に積極的な対外侵攻を行い、急速に発展した。この背景には、気候が1000年間で最良の湿潤状態へと転換したことがあった。これにより、軍馬用の飼料は遠征先でも豊かな草原から得られた。元寇という人災は武家社会に大きな負担となった。 |
5 | 02/05 | 極端な寒冷気候下の天明・天保の大飢饉が促がす近代化へ道 | 江戸時代は基本的に小氷期と呼ばれる寒い時代だった。このような環境下で火山噴火、エルニーニョ、日射量減少などの寒冷化要因が加わると、気候は極端に寒冷化した。特に、天明の大飢饉(1782〜1788年)や天保の大飢饉(1833〜1839年)では、天災に人災が加わることで被害が拡大した。江戸時代後期における寒冷気候は、鎖国、幕藩体制、過度に米に依存した社会、収穫量の限界、農村疲弊など、社会のシステムを脆弱化させていった。なお、温暖地域である西日本では、藩政改革などの成功した藩が出現した。江戸末期の極端な寒冷化は、幕末の社会変革に際し西国が活躍できるような経済的な優位性の遠因になったとの指摘がある。 |
ご受講に際して(持物、注意事項)
◆休講が発生した場合の補講は2月12日(水)を予定しています。
◆教科書とはしませんが以下の書籍をベースに最後の章の内容を回に分けて深く理解します。任意ですが参考いただくと理解が進みます。
『気候変動と「日本人」20万年史』(川幡穂高著 岩波書店 ISBN:978-4000615303)
◆気候・環境について予備知識がなくても受講可能です。
◆講義は過去を対象としますが、現代および将来の気候・環境問題への示唆についても解説します。
講師紹介
- 川幡 穂高
- 早稲田大学客員教授、東京大学名誉教授
- 横浜市生まれ。博士(理学、東京大学)。専門分野は、生物地球環境学、古環境学・古気候学。日本地球化学会および日本地球惑星科学連合元会長。早稲田大学や東京大学等で、地球惑星科学などの授業を担当。専門は、生物地球化学をベースとした現代と過去の物質循環研究。現代の炭素循環に関する知見を過去に応用して古気候・古環境学の解析を行う一方、これらを統合して過去から未来への環境変遷の解析を行う。著書に、古気候学、人類学、考古学、歴史学を駆使した「気候変動と日本人20万年史」(岩波書店)がある。