ジャンル 世界を知る

中野校

【対面+オンラインのハイブリッド】古代中国の伝説の王たち 神話から歴史へ

  • 秋講座

加藤 徹(明治大学教授)

曜日 火曜日
時間 10:40~12:10
日程 全5回 ・11月12日 ~ 12月10日
(日程詳細)
11/12, 11/19, 11/26, 12/03, 12/10
コード 330314
定員 50名
単位数 1
会員価格 受講料 ¥ 14,850
ビジター価格 受講料 ¥ 17,077

目標

・私たちが生きている今の時代がこのようになった理由を考える。
・日本史と中国史という枠組みを取り払い、世界的な視野から東アジアを見直す。
・歴史の予備知識がない人にも、身近なことから考える楽しさを体験してもらう。

講義概要

古代史は、近現代のナショナリズムと結びついています。「自分たちの国の歴史はこんなに長いのだ」と自慢するため、政府が学者を動員し学問を悪用することもあります。
俗に「中国五千年の歴史」と言いますが、中華民族の共通祖先とされる五千年前の黄帝や、儒教で聖人とされる四千年前の堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)は、神話・伝説の人物です。前11世紀ごろの殷(いん)の紂王(ちゅうおう。商王朝の帝辛)と周の文王は実在した君主ですが、史実と違う説話にいろどられています。本講座では、古代の伝説的な6人の帝王を取り上げ、中国文明形成の謎を、豊富な映像資料を使い、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。

各回の講義予定

日程 講座内容
1 11/12 黄帝 - 紀元前27世紀の中華民族の祖 中国古代の伝説の8人の君主「三皇五帝」のうち、最も有名なのは「黄帝」です。彼は神仙となった人間であり、「文化英雄」でもあります。舟や車輪、弓矢、鏡など文明の利器の発明、文字や薬学や医学の誕生など、中国文明の基礎は黄帝の時代に出現した、と漢文古典の説話では説かれています。20世紀初頭の中国では、紀元前2697年を黄帝即位元年とする「黄帝紀元」が提唱されました。21世紀の今日、多民族国家を標榜する中華人民共和国では、黄帝は漢民族と少数民族を含む全ての中華民族の共通祖先とされます。黄帝は日本にも多大の影響を与えました。テキヤ(映画「男はつらいよ」の寅さんなど)がまつる神様は「神農黄帝」で、現代日本の栄養ドリンクの名前は「ユンケル黄帝液」です。いわゆる「中国五千年」の歴史の冒頭に位置づけられてきた黄帝の謎について、わかりやすく解説します。
2 11/19 堯舜 - 紀元前22世紀の二人の聖天子 堯(ぎょう)と舜(しゅん)は、2代にわたり徳をもって天下を治めた伝説の聖天子です。親子ではなく、禅譲(ぜんじょう)により天子の位を継承したこの2人は「堯舜」と呼ばれ、理想的な明君の代名詞になりました。日本語でも「堯舜の世」「堯舜の民」などの言い方や、漢文の故事成語「土階茅茨(どかいぼうし)」「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」「帝力何ぞ我に有らんや」「堯鼓舜木(ぎょうこしゅんぼく)」「禹行舜趨(うこうしゅんすう)」「矛盾」「漱石枕流(そうせきちんりゅう。夏目漱石の筆名の由来)」など、堯舜由来の言葉を使います。日本の元号のうち、「昭和」の出典は『書経』堯典で、「文政」「永和」は同・舜典です。儒教では堯・舜・禹・湯王(とうおう)・文王・武王・周公・孔子の8人を聖人とします。古来、聖人の筆頭とされてきた堯と舜は実在の人物ではなく、「堯舜の世」も後世に作られた説話である可能性が高い。しかしながら、堯舜説話には、21世紀の今も中国人が理想とする政治のありかたが盛り込まれているのです。
3 11/26 禹王 - 紀元前21世紀の夏王朝の始祖 日本の歴史教科書では、考古学的に存在が確認されている中国最古の王朝は殷(いん)である、としています。現代中国では、殷よりも前に存在したと史書にある夏(か)王朝を、実在した中国最古の世襲王朝と見なしています。中国政府は1996年から2000年にかけて、学界を動員して「夏商周断代工程」(夏商周年表プロジェクト)を行い「夏商周年表」を作成しました。古代中国の説話では、黄河の治水で功績を挙げた禹(う)は、舜から天子の位を譲られ、中国史上初の世襲王朝「夏」の開祖になった、とされます。現代中国では、夏王朝の建国を紀元前2070年ごろに比定していますが、日本など海外の学界ではまだ公認されていません。かつての日本では、皇紀2600年(昭和15年、西暦1940年)に文部省が当時の学者を総動員して「神武天皇聖蹟調査報告」を作成しました。中華人民共和国の「夏商周断代工程」は、大日本帝国の「神武天皇聖蹟調査報告」と似ている面があります。禹は、儒教の古典とは別に、日本でも治水の神として古くから各地の神社で祭られてきました。「中国の神武天皇」とも言うべき禹について、わかりやすく解説します。
4 12/03 紂王 - 紀元前11世紀に実在した殷王 「堯舜」が聖人である明君の代名詞なら、「桀紂(けっちゅう)」は悪逆非道の暴君を指す罵語です。漢文古典の説話によると、夏王朝の最後の王である桀王と、殷王朝の最後の王である紂王は、時代は異なるものの、それぞれ美女に夢中になって酒池肉林のぜいたくにふけり、民を苦しめ国を滅ぼした暗君とされます。日本では司馬遷の『史記』の影響もあり、21世紀の今も「殷王朝」「紂王」という呼び方が普及しています。しかし20世紀の考古学的な発見と研究により、漢文説話の「殷」や「紂王」とは違う、歴史的な実像が明らかになりました。殷王朝は後世の呼び方で、自称は「商」でした(現代日本語の「商人」「商業」の語源)。商王朝(殷王朝)の遺跡から出土した甲骨文字を解読した結果、商王朝最後の王となった帝辛(紂王のモデル)は熱心に祭祀を行った人物で、紂王が妲己(だっき)を寵愛し酒池肉林のぜいたくにふけったという説話は史実ではありませんでした。むしろ、近現代の考古学が明らかにした「殷の紂王」あらため「商の帝辛」の実像は、漢文古典以上の驚くべきものでした。近現代における歴史学者と考古学者の対抗意識など、学界の隠微な裏事情も含め、中国史上最悪の暴君とされてきた紂王の実像について、わかりやすく解説します。
5 12/10 文王 - 紀元前11世紀の君主の聖人化 周の文王は、姓は姫(き)、名は昌(しょう)でした。漢文古典の記述によれば、西の辺境の小国であった周の君主となった姫昌は、都を岐山(現在の中国陝西省宝鶏市岐山県)から豊邑(現在の陝西省西安市)に移して仁政を行い、民からしたわれました。殷の紂王が暴政を行った時、姫昌も紂王により理不尽な目にあったものの隠忍して命をながらえ、「太公望」などの人材も得て、力を蓄えました。天下の諸侯は、紂王の暴虐ぶりを見て殷王朝に見切りをつけ、姫昌の周に期待を寄せました。しかし姫昌は決起せず、殷の臣下であり続けました。姫昌の死後、息子の姫発(周の武王)は、父に「文王」という諡(おくりな)を贈り、文王の木主(位牌)を立てて殷の紂王と戦ってこれを破り、殷を滅ぼして周王朝(西周)を打ち立てました。漢文古典が伝える周の文王の説話は、日本にも大きな影響を与えました。織田信長が「岐阜」という地名を作った理由は、周の岐山と孔子の曲阜にあやかるためでした。江戸時代の儒学者は、天皇位を簒奪しない徳川将軍の態度を、周の文王になぞらえて礼賛しました。しかし漢文古典の説話は、近現代の歴史学や考古学によって、史実とは違うことがわかってきました。俗に「中国五千年」「中国四千年」などと言いますが、真の意味での中国史は、周が商(殷)を征服し両者が融合した三千年前から始まります(加藤徹著『貝と羊の中国人』参照)。神話・説話から歴史へ、中国文明形成の謎と実像を、わかりやすく説き明かします。

ご受講に際して(持物、注意事項)

◆本講座は対面でもオンラインでも受講できるハイブリッド講座です。対面・オンラインのご都合の良い形式でご受講いただけます。
◆講師は中野校の教室で講義し、オンラインで同時配信いたします。
◆対面でご受講される方は、通常の対面講座と同様に開講確定後にお送りする教室案内通知記載の教室にお越しください。
◆テキストはありません。教材はネット上に公開します。教室での対面受講者にはプリントを配付します。
◆オンラインで受講される方はオンライン講座と同様にマイページからご受講ください。
◆オンラインは、Zoomのウェビナー形式を使用しています。
◆オンラインでの受講予定の方はお申込みの前に必ず「オンラインでのご受講にあたって」をご確認ください。
◆本講座の動画は、当該講座実施の翌々日(休業日を除く)17:30までに公開します。インターネット上で1週間のご視聴が可能です。視聴方法は、以下をご確認ください。
【会員】授業動画の視聴方法(会員向け)
【ビジター・法人会員】授業動画の視聴方法(ビジター・法人会員向け)

備考

※パンフレット記載の日程に変更がありました。11月12日に開始、12月10日に終了となります。

講師紹介

加藤 徹
明治大学教授
1963年、東京生まれ。東京大学中文科を卒業後、同大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。文学修士。専門は京劇(中国の伝統演劇)。著書に『京劇』(中公叢書、2002年度サントリー学芸賞受賞)、『西太后』(中公新書、2005年)、『貝と羊の中国人』(新潮新書、2006年)、『漢文で知る中国』(NHK出版、2021年)その他がある。2025年4月よりNHKテレビ「中国語!ナビ」に出演中。
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