ジャンル 世界を知る

中野校

ローマ皇帝史 皇帝の治世から読み解くローマ帝国の変質

  • 秋講座

新保 良明(東京都市大学名誉教授、元・文部科学省教科書調査官)

曜日 火曜日
時間 13:10~14:40
日程 全10回 ・10月01日 ~ 12月03日
(日程詳細)
10/01, 10/08, 10/15, 10/22, 10/29, 11/05, 11/12, 11/19, 11/26, 12/03
コード 330301
定員 24名
単位数 2
会員価格 受講料 ¥ 29,700
ビジター価格 受講料 ¥ 34,155

目標

・著名な皇帝たちについて、その事績を個別に確認する。
・それらの事績がローマ帝国の歴史に与えた影響を理解する。
・「五賢帝Five Good Emperors」の実態を理解する。
・キリスト教徒迫害、国教化を通して、中世ヨーロッパへの展望を得る。

講義概要

本講座は有名な皇帝たちの生涯や治世中の施策、社会の実態などを広範に取り上げていきます。ただし、単なるゴシップの紹介に終わることなく、各治世がローマ帝政史の中でいかなる意味をもったのか、いかなる変質をもたらしたのかを、客観的かつ総合的に見ていきたいと思います。従って、ローマ帝国の身分制や行政構造などにも当然、触れることになります。さらに、イエスが初代皇帝アウグストゥスの治世に生まれ、キリスト教が迫害を受けながらも、最終的に国教になったという事実も念頭に置きましょう。なお、ローマ帝国の理念はビザンツ帝国、フランク王国、神聖ローマ帝国、ロシア帝国に継受されていくことを最後に指摘させてください。※過去の同名講座に新たな知見を加え再構成しています。

各回の講義予定

日程 講座内容
1 10/01 帝政の成立と「元首政」 前31年、アクティウムの海戦においてアントニウス・クレオパトラ軍を打ち破り、内乱の最終的勝利者となったオクタウィアヌスはいかなる政体を選択したのでしょうか。それは共和政の継続を標榜しながらの事実上の皇帝独裁でした。「共和政」と「帝政」の並存というありえない矛盾を抱えた特異な政体は「元首政」と称されてきました。その成立要因を確認してみましょう。また歴代の皇帝は日々、どの程度の時間を公務に当てていたのでしょうか。史料から再構成してみましょう。
2 10/08 アウグストゥス帝 初代皇帝アウグストゥスは事実上の支配者でありながら、自らが「市民の中の第一人者」にすぎないというスタンスを取りました。その結果、彼の治世には行政の諮問機関としての「顧問団」メンバーに元老院選出の代表者を加え、民主的システムを採用しながらも、その一方で、彼自身や元老院議員への誹謗中傷を処罰するために「大逆罪maiestas」の拡大解釈に道を開きました。初代皇帝はこのような矛盾をいくつも抱えながら、皇帝政治の礎を築いていったのです。なお、2021年、宝塚歌劇団は彼を主人公にした『アウグストゥス』を公演しています。
3 10/15 カリグラ帝 アウグストゥス以降、世襲を目指してきた元首政でしたが、3代目の帝位はアウグストゥスの曾孫(カリグラ)の手に渡りました。彼こそカミュ作『カリギュラ』の主人公です。血筋も申し分ない、若き皇帝を市民らは大歓迎しました。ところが、やがて彼らはカリグラに恐怖することになります。さて、このカリグラは史上初の暗殺された皇帝であります。彼の死後すぐに、これまで皇帝政治の弊害を実体験してきた元老院は直ちに会議を緊急開催し、「共和政への真の回帰」を本気で議論するところとなります。さて、どうなったのでしょうか。
4 10/22 ネロ帝 おそらく、暴君でありながら、最も有名な皇帝がこのネロでしょう。シェンケヴィチ作『クォ・ヴァディス』、安彦良和作『我が名はネロ』など彼にまつわる作品は枚挙に暇がありません。先ずは、母親アグリッピナや家庭教師セネカに着目しながら、ネロの即位までの道筋を確認してみましょう。しかし皇帝ネロは思春期の中で自我を確立し、母やセネカの排除に向かいました。そしてネロの悪名をとどろかせたのは史上初の本格的な「キリスト教徒迫害」でした。最終的に、ネロは公敵宣言を受け、自殺しますが、史料によると、墓への献花は絶えず、(「水戸黄門」シリーズに毎回登場するような)偽ネロは何度も現れており、庶民の人気は高かったことが窺われます。
5 10/29 ネルウァ、トラヤヌス帝 「五賢帝」はネルウァから始まります。では、直前の皇帝ドミティアヌスはいかなる人物であったのでしょうか。一方、ネルウァはトラヤヌスを養子に迎え、これが五賢帝時代を貫く「養子皇帝制」のスタートとされてきました。ネルウァの意図はどこにあったのでしょうか。他方、帝国に最大領域をもたらしたのがトラヤヌス帝とされていますが、彼によって属州ビテュニア・ポントゥスの総督に任じられたプリニウス(『博物誌』で有名なプリニウスの甥)がキリスト教徒迫害について実に重要なトラヤヌスとの往復書簡を残してくれています。内容を確認してみましょう。
6 11/05 ハドリアヌス帝 五賢帝3代目でありながら、元老院と折り合いが悪く、治世初には元老院議員の処刑者も出ています。つまり、ユルスナール作『ハドリアヌス帝の回想』で有名なハドリアヌスは「憎まれた皇帝」であったのです。なぜなのでしょうか。また、彼は帝国中を巡幸した初めての皇帝でもありました。一方、ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』の舞台はまさにこの皇帝の治世です。テルマエも含め、「ローマの平和」下の庶民の日常生活も探ってみましょう。
7 11/12 カラカラ帝 「カラカラ浴場」「カラカラ勅令(アントニヌス勅令)」に名を残すカラカラは善帝とイメージされるかもしれませんが、実弟殺しを始め、数々の罪深さを背負っていました。無実の民の虐殺を各地で命じているからです。とはいえ、帝国内の自由民にローマ市民権を付与した「カラカラ勅令」のインパクトは多大と言わざるをえません。彼は帝国民すべての平等を求めてやまない人道主義者であったのでしょうか。
8 11/19 エラガバルス帝 シリア出身であるエラガバルスはシリア由来の自己の宗教をローマ市に持ち込み、国教化しようとした異色の皇帝であり、アントナン・アルトー作『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』の主人公です。言わば、この若き皇帝はローマに「宗教改革」を導入しようとしました。ここでは、ローマ宗教の有り様も確認してみましょう。
9 11/26 ディオクレティアヌス帝と「専制君主政」 同帝は最後の軍人皇帝として帝国に再び安定をもたらしつつも、「元首政Principatus」と異なる「専制君主政Dominatus」を導入したとされます。従って、ローマ帝国にとって【中興の祖】と評価されてきました。何がどう変わったのでしょうか。一方、彼の治世に最後の本格的「キリスト教徒大迫害」が起こっています。史料から、迫害の実態を確認してみましょう。ところで、帝位は基本的に皇帝が死ぬまでの終身制でありましたが、ディオクレティアヌスは治世20年を機に自主的に退位し、隠居生活に入ります。「院政」は発生したのでしょうか。
10 12/03 テオドシウス帝 高校世界史の教科書には、テオドシウス帝の事績として、「395年 東西ローマの帝国分裂」と記載されています。彼は意図的に東西ローマ分裂を断行したのでしょうか。また彼は392年、キリスト教をローマの国教としたばかりか、これまでの地域密着型の伝統宗教すら否定し、禁じました。では、この決定は帝国民のキリスト教への改宗を地滑り的にもたらしたのでしょうか。

講師紹介

新保 良明
東京都市大学名誉教授、元・文部科学省教科書調査官
1958年長野市生まれ。東北大学博士前期課程修了。博士(文学、東北大学)。専門分野は古代ローマ史。手頃な著書として単著『ローマ帝国愚帝物語』(新人物文庫)と共著『悪の歴史 西洋編(上)+中東編』(清水書院)、『侠の歴史 西洋編(上)+中東編』(清水書院)、『歴史学者と読む高校世界史』(勁草書房)、専門書として単著『古代ローマの帝国官僚と行政-小さな政府と都市-』(ミネルヴァ書房)などがある。
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